2020年前半を振り返ってBrad Skow を思い出す

今週のお題「2020年上半期」とのことで、既に180日以上経過した今年を振り返ってみる。

 

香港の2020年元旦は、昨年からのカオスな状況と旧正月メインの土地柄という二つの理由もあり、例年に比べるとお祭りムードは皆無だった。

 

そして旧正月休暇の頃には、それまで対岸の火事のように報じられていた武漢の火の粉が、大陸からの多くの観光客の流入とともに香港にも舞い降りた。

 

こどもも大人も家にこもる日々が始まった。

 

毎週末ニュースの大部分を独占していた殺伐としたデモ隊と警察の衝突が、Covid-19 の感染情報に入れ替わり、皆、香港の芸能人みたいにマスクやサングラスで顔の露出を隠して外出するようになった。

 

街のレストランやコーヒーショップのテーブルは最大4人までの着席に制限され、隣のテーブルとは一定の間隔を開けプラスチックボードで不自然に仕切られた。入店客を非接触式体温計で検温し、高熱を出していないか確認するのが珍しいことではなくなった。

 

6月下旬になり、感染数も減少し、社会的距離隔離の制限もだいぶ緩くなった。ほぼ、今まで通りの生活が戻ってきたかのように見えた。

すると今度は、中国政府が国家安全法を施行し、諸外国がいろいろな対応を見せるようになった。

 

そして7月半ばを過ぎた今、Covid-19 の感染者数は再び増加の一途をたどり、隔離緩和から2週間足らずで、元の状況以上の厳しさに戻ってしまった。

 

こうして年初から現在までを振り返ってみても、自分としては時間が経過した実感がない。

カレンダーだけが勝手に先に進んでいるように思われる。いや、本当にそう見えているだけなのかもしれない。

 

時間の流れということで思い出したが、少し前に読んだBrad Skowの『Objective Becoming』という本では過去現在未来は同時並列の存在と述べられていた。

例えるなら、時間は桃太郎の桃のように過去という上流から現在に流れてくるのではなく、すでに桃太郎も猿も雉も犬も鬼ヶ島も同じ舞台上にある。スポットライトの当たったものが現在、そしてスポットライトの当たるものは移動していくので過去、現在、未来というように見えるという理論だ。

 

ひょっとしたら私は同じものにばかりスポットライトを当て続けているので時間の経過を感じられないのかもしれない。

2020年後半の目標は何か新しいものにスポットライトを当ててみることにしよう。

 

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